2008年6月9日

柴田淳/なにもない場所(弾き語り)(2003)

作詞:柴田淳
作曲:柴田淳
編曲:柴田淳


先日友人がカラオケで歌ってくれたので、この曲を取り上げてみます。

柴田淳はこれまた周りの友人に触発される形で聴くようになりました。オレの印象としてはとても「真っ当」なポップスを作る方だという印象です。何か「J-POP」という括りよりもかつての「ニューミュージック」という括りの方が似合うような、そういう懐かしい感じすらします。
女性らしい歌詞をしっかり紡いで優しいメロディに載せて歌う、今の世の中意外とあるようでない感じ、おまけにご本人が非常に綺麗な方で、それにときめく男子も多数いると聞きます。

で、この曲は題名にもあるとおり全編ピアノの弾き語りです。

ピアノの伴奏のみ、というのは「ピアノのみ」というだけで何か「雰囲気」のようなものを出せるのですが、それだけに「雰囲気」以上の力のある伴奏というのはなかなか難しく、相応のテクニックとセンスが必要だろうと思います。
ただ、この「弾き語り」というヤツは不思議なもので、そういうテクニック的なものを凌駕して、演奏が説得力を宿すことがよくあります。
歌っている人の気持ちが必然的に演奏にも乗っかってくるからでしょうか、弾き語っている人が歌に集中していればいるほど伴奏も説得力を増していくような気がします。

この曲についてもそういう空気が伝わってくる感じがします。
柴田さん、ピアノうまいですが、本職のキーボーディストというわけではないです。
それでも歌詞に描かれたドラマを自分の声と指で丁寧に織り上げることで、曲全体の説得力をより力強いものにしています。

歌詞としては、誰かを傷つけ、それでも愛する人と生きることを決意した女性が主人公です。
その決意がどういう類のものなのかは、いろいろと解釈のしようがあるのですが、「決意した」といっている傍から不安を全然打ち消せていないことがありありに伺われ、それゆえ「決意」の歌ではなく、「懇願」の歌になっています。

それで前から気になっていたのがこの曲の題名です。
この題名は歌詞中に1回だけ「今 見つめる先は 不安も孤独もなにもない場所」というところで出てきます。

たぶん、見つめる先はこれから二人で向かう場所を意味しているのでしょう。
で、「不安も孤独もない場所」であればすんなり入るのですが、何故わざわざそこに「なにも」と付けたのか。

素直に「不安も孤独も(自分を苦しめるものは他に)なにもない場所」と解釈するには何かもうワンクッションないといけない気がするのです。

タイトル自体「なにもない場所」なのです。これ単体で何かを指し示していると見るのが自然な感じがします。

オレはここに主人公の「罪悪感」が潜んでいるのかなと思うのです。

相手といっしょにいることで不安も孤独といったネガティブなものはなくなるけど、その代わり得られるはずの喜びや楽しみにも、常にそのために払われた犠牲の影を見てしまうようになる、そういう贖罪意識を背負って見る先には二人で一緒にいる、ということ以外の未来が見えない、だから「なにもない場所」(不安や孤独もないけど、その他にも何もない=見えない)なのかな、そんな主人公の心情を表しているのかなと解釈するわけです。

だから「つかまえていて 離さないで」と懇願し、「こんな私はあなたなしじゃ生きていけないの」という締めにつながるかなと。

まぁ、過剰な深読みですが、そうだとするとタイトル自体に意味が見出せるな、と思った次第です。
結構この歌詞は何通りかに読むことができて、よい話のタネにできます。
皆さんも暇なときにやってみると面白いですよ。



先日友人がカラオケでこの曲歌ってくれた時、それを聞いていた別の友人が、

「いい曲だけど、女をこんな気持ちにさせるような男はダメだ」

と断罪していました。

勉強になります。

2008年4月18日

岡田有希子/ファースト・デイト(1984)

作詞:竹内まりや
作曲:竹内まりや
編曲:萩田光雄

またアイドルです。ホント、そんなつもりじゃないんですが。

最近オレの中で流行っている岡田有希子のデビューシングルです。

彼女の名前を聞くと、どうしてもあの衝撃的な事件のイメージばかりが勝ってしまい、アイドルとしての正当な評価がなされていないような気がします。
ただ、当時のアイドルとして正しいルックス、正しい歌唱力、優れた楽曲、一時代を築く可能性を秘めていた人材であったと今更ながら思うのです。

事実、デビュー曲でこの作家陣です。その期待の高さが伺えます。

歌詞は、自分では目立たない存在だと思っている女の子が、クラスで憧れの男子に突然映画デートに誘われてしまって戸惑い&ときめき、という正統・純アイドル路線で、そこに「まりや節」なメロディが炸裂しまくる期待を裏切らない楽曲です。曲はサビ始まり、しかもマイナーコードで入って、サビ明けでメジャー展開するという形になっており、ここでも「はじめ戸惑い、のちときめき」という主人公の気持ちの遷移をうまいこと表現しています。

また、大御所萩田光雄さんのアレンジが素晴らしい。萩田さんは山口百恵楽曲のメインどころの編曲をほとんど手がけていた方で、それ以外にも「超」の付く名曲(久保田早紀「異邦人」、あみん「待つわ」、H2O「想い出がいっぱい」、中森明菜「セカンド・ラブ」などなど)のアレンジを数多く手掛けてきた、まさに大御所中の大御所。オレ個人的には萩田さんの繊細かつドラマチックなストリングスの使い方が好きなのですが、この曲でもそれは顕著で、サビ始まりのところでの低音弦での力強いストロークでドキドキ感を、サビ明けのメジャー展開のところではやわらかいレガートでときめき感を演出し、まりや楽曲の意図を見事にサポートしています。

岡田有希子自身はデビュー曲ですので、その歌唱はただひたすら誠実です。表現という意味で充実してくるのは尾崎亜美楽曲である「Summer Beach」あたりからという気がしています。

彼女のかつての楽曲は今はベストアルバムなどに収録されています。興味を持った方は是非、レンタル屋さんあたりで。



オレは中学から高校の時分にかけて、「勉強しながらラジオを聞く」(ラジオ聞きながら勉強、ではない)というのをよくしていて、たまたま彼女の番組も何となくではありますが、毎週聴いていました。

ある日、ちょうど「くちびるネットワーク」が大ヒットしたころ、彼女はラジオで次の新曲だといって「花のイマージュ」という曲を紹介していました。東芝の扇風機のCMで流れるという話もしていました。
当時オレは「ふーん、新曲ね」という程度のスタンスでその曲を聞き流していました。数日後、あの事件が起こりました。「花のイマージュ」という曲はお蔵入りになったようですが、「花のイマージュ」という東芝の扇風機は何事もなかったように売られていました。



存命であれば彼女は現在40歳、どうなっていたのでしょうか。
何となく、ドーンと売れて、結構さくっと結婚・引退して、幸せに過ごせていたんじゃないかと、そんな気がします。

2008年4月2日

中森明菜/難破船(1987)

作詞:加藤登紀子
作曲:加藤登紀子
編曲:若草恵

明菜ちゃんの文句なしの代表曲の一つです。

この頃の明菜ちゃんはもうアイドルではない立派なシンガーとしての地位を確立していく一方、当時交際していたマッチこと近藤真彦との破局が囁かれていた、といった時期でした。
その時期に、まさに何というタイミング、この運命的な曲との出合いを果たすことになるわけです。

静かに始まるイントロからぐっと曲の雰囲気に引きずり込まれます。

歌詞中に何度か出て来る「海の底」「沈む」という言葉、この曲の作者である加藤登紀子さんはおそらく、「川沿いの岩の上に立つ美しい少女に魅入られた船乗り達は次々と川の渦に巻き込まれて沈んで行く」という「ローレライの伝説」をイメージに取り込んで詞を書いたのだろうと思います。

 おろかだよと 笑われても
 あなたを追いかけ 抱きしめたい
 つむじ風に身をまかせて あなたを海に沈めたい

主人公の女性は目標も帰る場所も失った、という点で「難破船」です。
男性を「船」に、女性を「港」に例える日本演歌的なステレオタイプを転倒させているところが新鮮です。

また一方で、愛する人を失うくらいならいっその事その人を海の底に沈めてしまいたいと考える点で「ローレライの少女」でもあります。何故かヨーロッパというよりも日本の怪談噺的なウェットな情念が伝わって来るあたりが、人によっては「怖い歌」という風に受け取られる所以かも知れません。

「船」と「少女」という構図的に対立している対象の両方を主人公の女性に重ね合わせて悲劇的なイメージを構築するなんて、加藤登紀子さん、さすが、といった感じです。

歌のラストはこんな歌詞で締めくくられます。

 たかが恋人を なくしただけで
 何もかもが消えたわ
 ひとりぼっち 誰もいない
 私は愛の難波船

当時の明菜ちゃんの心情を考えて改めてこの曲を聴くと、なんとも痛ましい気分になってしまいます。
それと同時に「人馬一体」ならぬ「人歌一体」の凄みに引きずり込まれずにはいられません。

そう、この曲のキーワードは「引きずり込まれる」です。

2008年4月1日

JUJU/ナツノハナ(2007)

作詞:はしもとみゆき
作曲:谷口尚久
編曲:CHOKKAKU

ちょっと新しめの曲です。JUJUは2004年にメジャーデビューした女性シンガーソングライターで、現在はニューヨーク在住だそうです。この曲は自分では書いていません。

ピアノのイントロで静かに始まるこの曲、歌が始まるAメロに入るところで絶妙に切ないコード展開を見せます

で、その切ない感じのところに「君がいないとー」という歌詞が続きます。

切ないコードのところで「君がいないと」と来たもんでオレは「ん?」と耳が立ちました。
この時点で曲の作り手としては「勝ち」なのかも知れません。少なくともオレに対しては。

非常にキャッチーな作りだな、やっぱり「つかみ」って重要だなぁ、と改めて感じ入りました。

歌詞全体のテーマは「愛する人の喪失」で、その「喪失」が実際にどういう類のものなのかは歌詞の中では明確に限定していませんが、CHOKKAKUさんのストリングスを効果的に使ったアレンジが、きっとその「喪失」が二度と戻らない類のものであることを物語っているように思います。歌詞の持つ意味をアレンジが補足している感じです。

そもそも、この曲を知ったのはちょっと前にやってた深夜アニメ「モノノ怪(もののけ)」でエンディングテーマに使用されていたのを聴いた時でした。
この「モノノ怪」というアニメ、ちょっと変わっていて、アニメというより極彩色の和紙で出来た紙芝居のような映像で、古典的な妖怪や怪談を題材にしたお話しが繰り広げれられます。

こんな
感じ。

オレが見たときは確か「座敷童子」のお話で、何かちょっと切ない感じのラストでした。
その後にこの曲が流れてきたので、余計に印象に残ったのかも知れません。

歌詞の中に「瞬間が永遠だった」という言葉が出てきます。(この歌詞の切り取り方は、全体の流れからするとちょっと不自然ではありますが)この辺がこの歌のキモなんだと思います。
比較的ありふれたフレーズではありますが、聴く人を一旦歌のドラマの中に誘い込んでしまえば、有効だということなのでしょう。

やっぱり「つかみ」って重要です。

2008年3月30日

キリンジ/悪玉(2000)

作詞:堀込高樹
作曲:堀込高樹
編曲:冨田恵一、キリンジ


キリンジの3枚目のアルバム「3」からの1曲です。キリンジは堀込高樹・泰行の堀込兄弟によるデュオユニットです。その高度な音楽性とポップさから「日本のスティーリー・ダン」なんて言われたりもしています。

この曲の主人公はあるプロレスラーです。

彼はいわゆるヒール(悪玉)です。観客からも罵声を浴びせられ、どんなに大暴れしても最後には善玉レスラーにやっつけられて負けてしまう運命にあります。

彼には息子がいます。彼はレスラーという仕事には誇りを持ってはいるものの、一方で情けなく負けてしまう自分の姿を、息子はどう見ているのだろうと気に病んでいました。本当は強い自分の姿を息子に見せたい、でも悪役である自分が活躍する訳にはいかない、そんなことをしたらプロモーターから首を切られてしまう、そんなジレンマとずっと闘ってきたのです。

そんな彼は一大決心をします。一度だけ、自分が現役の間に一度だけ、息子に「お父さん勝ったぞ」といいたい。それを実現させようと。

相手は売り出し中の若い善玉レスラー、本気で闘ったら到底負ける相手ではない。でも、この試合は既に結果は決まっているいわゆる「八百長試合」、始めから負けることが決まっているのです。
で、彼はこの八百長試合をひっくり返してやろうと考えたのです。

ただ、それを思いっきりやってしまっては問題がある、そこで彼は一計を案じました。試合の自然の流れの中でたまたまうまく体重移動をして、偶然フォールしてしまったかのように見せかけて、3カウント取ってしまったのです。

売り出し中の若手に土がついてしまい、面白くないプロモーターは憤慨して席を立つ。
観客は「なんでこんなやつが勝ったんだ」と大ブーイング。

でも彼には見えていました。
父の勝利に目を輝かせている息子の顔が。



と多分にオレの思い入れも入っていますが、こういう歌詞の歌です。

キリンジのファンの皆さんの間では、キリンジの歌詞にはダブル・ミーニングがあるということで深読みされることも多いと聞いています。
でも、プロレスファンのオレとしては、この曲に関してだけは直球ストレートに読ませてもらおうと思っています。
なんか、普通に、ええ話やん、と。

2008年3月28日

松本伊代/センチメンタル・ジャーニー(1981)

作詞:湯川れい子
作曲:筒美京平
編曲:鷺巣詩郎

伊代ちゃんのデビューシングルになります。

伊代ちゃんの曲、と聞いて皆さんは何を思いつくのでしょうか。

伊代ちゃんの曲には尾崎亜美による「時に愛は」といったJ-POPクラシックといってもよい名曲、テクノポップ的な斬新なアレンジの「おとなじゃないの」、ラテンテイストのトロピカルポップ「太陽がいっぱい」など、音楽的に面白い名曲、佳曲が多いです。
にも関わらず伊代ちゃんの歌、と聞いて「センチメンタル・ジャーニー」しか思いつかない、という人は多いのではないでしょうか。それだけインパクトが強かったということだと思います。

曲のタイトルは作詞の湯川れいこが自分が大好きなエルヴィス・プレスリーの有名曲のタイトルから拝借しているものと思われます。(ちなみにデビュー2曲目は「ラブ・ミー・テンダー」でこれもエルヴィスの曲のタイトルです。)

この曲の最大のインパクトは何と言っても「伊代はまだ16だから」という歌詞にあると思います。歌の中で自分の名前と年齢をアピールしているわけです。デビュー曲で一気に自分のプロフィールを世間の人にアピールできるという意味で非常にうまい売り方といえます。
(後にわらべの「かなえちゃん」役だった倉沢淳美がこの方式を大幅に拡大した「プロフィール」という曲でデビューします。この曲ではとうとうサビが「自分の名前の連呼」というところまで行きますが、結果的にはあまり功を奏さなかったようです。何でも、やり過ぎはいかん、ということでしょう。)

そしてこの歌詞がインパクトを持って伝わってくるもう一つの要因として筒美京平の天才的な作曲センスがあると思うのです。

「伊代はまだ(だだっだだっ)じゅーろくだーからー」

サビ前の歌詞としてこの譜割り、そして(だだっだだっ)。

この(だだっだだっ)が間に入ることでこの1行の歌詞にある種のドラマが生まれます。

例えば、こんなフレーズ。

「きょうのおかずはハンバーグ」

「きょうのおかずは(だだっだだっ)ハンバーグ」

「ハンバーグ」というありふれたおかずが圧倒的にドラマチックでゴージャスな存在に変貌しているのです。声に出して言ってみた場合のこの2つに生じる決定的な差をお分かり頂けるでしょうか。この曲で筒美京平は伊代ちゃんの16歳という若さと勢いを、たった音符4つと休符2つで、ドラマチックに演出しています。

筒美京平という人はこういう魔法のようなことを、さも当然のごとくさらりとやってのける人なのです。

鷺巣詩郎のキラキラしたアレンジもアイドルのデビュー曲らしい素晴らしい仕事です。

かくして「センチメンタル・ジャーニー」は伊代ちゃんの代表曲として人々の記憶に残るのでした。

2008年3月27日

松田聖子/ガラスの林檎(1983)

作詞:松本隆
作曲:細野晴臣
編曲:細野晴臣・大村雅朗

聖子ちゃん絶頂期の曲です。
先日iPodをシャッフル中に流れてきて、改めて感じ入りました。

こ の曲、ちょうどカップリング(昔でいうところのB面)がもはやジャパニーズ・ポップス・スタンダードともいえる"SWEET MEMORIES"なので、ちょっと主客逆転な感じもあります。実際、オレ自身も同じ松本隆+細野晴臣作品であれば「天国のキッス」の方が好きだったりし ますが、この曲は曲調がスロウ気味であるため、より聖子ちゃんの「ぶりっこ歌唱法」の真髄をたっぷりと楽しめます。

特徴としては、

・「る」が「とぅ」に聞こえる。(これはある種基本)
・語尾の「しゃくりあげ」と「ため」の絶妙。

あたりが挙げられると思います。

サビの最後の「ガーラースの林檎たーちぃ」のフレーズが上記の2つ目の特徴として象徴的です。
特に「ガー」のところ。

これがプロのアイドルってのもんです。

ここで30秒試聴が可能です。